
「カンドレ・マンドレ」
デビュー曲の編曲が小室等さんです。小室さんとは東京出てきてすぐ会ってるんだよね。小室さんに「家に来ないか」って言われ、行ったこと覚えてます。でも小室さんも偉いよね。わけの分からない若者を家に連れて行くんだから。帰りがけに「お金、あるの?」なんてね。「この人、優しいんだな」って。
「終わりがないのは」
そのB面だと思うけど、これは初めて書いたちょっと翳りのある曲で、当時は「どうだ!」みたいな気持ちだったけど、今見ると、何だか全然分からない曲だねぇ。

「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」
「カンドレ・マンドレ」を出したけど全然駄目で、もうちょっと“くだけ”ないとって思ったけど、なんせ力量不足。全然人の心を打たなかったってやつです。
「闇の中で」
これがB面で、さっきの「終わりがないのは」より、もうちょっとダークな感じ。「お日様の下で恋なんかしちゃって、馬鹿じゃないの!」とかっていきがってた。

「花にさえ 鳥にさえ」
シングル二曲ともにヒットせずで、駄目だよってことで、当時名を馳せていた加藤和彦さんと松山猛さんに詞と曲をお願いしたやつですね。
「さあおぬぎ」
これも松山さんと加藤さんが作ってくれた曲ですけど、「さあおぬぎ」なんて、やっぱりシングルのB面ていうのは、誰でも遊んでるんですねぇ。

「人生が二度あれば」
僕は本当は歯医者にならなきゃいけなかったんだけど、こんな事になっちゃったんで、ちょっと親に対してゴマすっとこうかなぁっていう気持ちで、あんまり綺麗な動機じゃないんですけど、「ちょっと挨拶しとこうかなぁ」という気持ちでしたね、親に。まあ、そういう意味では、今考えるとヒドい話なんですけど、このくらいで親は喜ぶんじゃないかって思い上がった気持ちがあったんですね、親に対して。録音物とかレコードとかそんな公なものを自分の子供が作って、しかも自分達のことを歌ってるんだなんて、「こりゃ、泣いて喜ぶだろう」なんていう気持ちで作ったのを覚えてますね。
「断絶」
「断絶」ってタイトル・ソングの中の“夜中にデートした”何ていうのはポール・マッカートニーがその頃にもうソロで『RAM』とか出してて、その中の「Monkberry Mon Delight」って曲があってね、この曲をポール・マッカートニーはシャウトして歌ってて、そういうシャウト系を当時よく聞いてて、「そんな曲、できないのかなぁ」って作った記憶がありますね。